第五回講座 「はたらく」 ありがとうございました
11月12日(土)・13日(日)の2日間にわたり、
西村佳哲さんを講師にお招きし、生活学校「はたらく」を開講いたしました。
午前9時過ぎ。
初めましての間柄でも、1日の講座をともにする20人は言うなれば山登りのバディ。
西村さんから始まる皆さんの自己紹介でスタートしました。
今回の講座は、ワークショップ形式。
ワークショップとは、昨今耳慣れた言葉ではありますが、
実際に「それはどういうこと?」と聞かれると少し戸惑ってしまう言葉です。
ワークショップとは、「factory(工場)ではない場」。
それは、あらかじめ最終的に作るものが決まっていない、ということを意味します。
何か少しでも良いものを作りたいと、めいめいが取り組み、失敗を恐れずに試みる場。
失敗はとても大事なことと捉えます。
講座中にも、受動的に話を聞き続けることは少なく、話を10~15分間ほど聞いたあとには必ず、
「どんなふうに聞いた?」「どんな風に感じた?」を一人ひとり言葉にして聞き合う時間を持ちました。
最初のテーマは「自分の仕事に気づく」。
「20答法」という自己認識のテスト、真っ白な紙に1から20の番号を書き込み、
「自分は、」という主語に続く言葉を、思いつく限り書き出すワークから始まりました。
目の前のワークに集中することで、会場の緊張も次第に解けてきます。
西村さんが順に提示されるキーワードを追って、
「自分の仕事」を掘り起こしていきます。
「好きなことを仕事に」という呼びかけは、「できることならそれが一番!」という説得力こそあるものの、
それを見つけないとどうにもならないという、どこか強迫的な側面も持ち合わせています。
「好き」という感情は、すでに情報処理ができている感情で、
また外からの情報に惑わされていることが多い、というのも事実。
まだ情報処理ができていない自分の「感覚」に目を向けるために、
「気になること/素通りできないこと/自分がお客さんでは済まないこと・・・」を言葉にし、
「それは私にやらせて!」とつい感じてしまう部分を、普段の自分の挙動を振り返りながら、探っていきました。
そこで興味深いのは「聞く」、「話す」ということ。
ワークショップ中は「聞く側」「話す側」を明確に分けて進めます。
この時間は「聞く側」なので、質問をしたり、話を割って入ってはならず、相槌のみ。
最後まで聞く、先回りしない、わかったような気にならない。
そういったルールに沿って純粋に「聞く」「話す」という行為を経験することは、
普段の自分を顧みる貴重な時間にもなりました。
また、「話す側」を担当したあとのフィードバックでは、
話をしている自分が「聞く側」から見るとどんな風だったのか、どんな表情をしていたのか、を客観的に聞きます。
「聞く側」「話す側」の相手がいるからこそ可能になること、
「聞く」「話す」ということが持つ本来のパワーを感じる時間でした。
会場が心地よい疲労に包まれた夕方、一旦講座はお休み、
休憩とお楽しみの「夕食会」を竈で開催しました。
バディ同士の団欒の夕べはとても賑やか。
炊き立てのごはんと、数種のおかず、お味噌汁で、夜の部へのエネルギーを補給していただきました。
夜の部のテーマは「わたしたちの仕事をつくる」。
自分の仕事を自分だけで作らなくてもいい、という観点から、
3~4人組になり「このメンバーで何ができるか?」を考えるワークを行いました。
それぞれが自分にできることを提示し合い、その組み合わせから「できる仕事」を考える時間。
人の能力や特技に感心するとともに、自分にはこれはできる!というどこか自信に似た感情も湧いてきます。
「お互いの関係から見出す」という温かく発展的な見方は、
とても示唆に富み、会場をやさしく包み込んでいくようでした。
最後に、午前の最初に取り組んだ「20答法」をもう一度。
それぞれ、朝の自分とはどこか異なる自分を発見、
またそれについて話し、聞き合う時間も、とても充実したものでした。
「なにを」「だれと」について考えた1日目を経て、
2日目には、3つめの視点「どこで」を考えるべく、「風景をみる視力の話」というテーマで、
奈良文化財研究所 惠谷浩子さんをお迎えしました。
文化財を保護するというお仕事でも、ただやみくもに守る、というのではなく、
その土地の地形の成り立ちや、続いてきた暮らしの風景を紐解き、
「何がその場所にフィットするのか?」を考え、未来を考える材料にしたいと惠谷さんは話されます。
そんな惠谷さんのガイドで、[鹿の舟]周辺の「ならまち」を歩きました。
大きな地形「佐保田撓曲」と小さな地形「鳴川」「率川」による影響を受けながら、
中国の思想に則った都市計画によって道が作られていった「ならまち」。
そこに住む人が折り合いを付けながら「住みこなして」いくうちに変化した跡が、
どこかいびつな道の形や随所から、惠谷さんのガイドにより浮かび上がって見えてきます。
いつも見ているのに、初めて見るような感覚。
時代を超えて、ずっとここに人が暮らしてきたという当たり前の事実を、改めて実感し、尊く感じる時間でした。
散策から戻り、お昼休憩をはさんだあと、最後の講義の時間。
お昼休憩前に、西村さんが発した問いかけがまだ耳に残っています。
「選択肢が多いことは幸せなこと?」
どこへでも行けて、モノはたくさん溢れていて、選択肢は限りなくあると思ってしまうけれど、
実はそれは与えられた範囲での自由なのかもしれない。
消費者的、買い物的に選択肢が豊かであることが、=暮らしの豊かさと言えるのだろうか。
西村さんは、拠点とされている徳島県神山町で、
今まさに「その土地らしさをあらたにどうつくるか?」という課題に取り組んでおられます。
地形と仕事を連続するものと捉え、自然基盤からそれにフィットする営みを考えること、
そういった「視力回復運動」を通して、
ひと・生態系・環境とともに生きていく技術やセンスを養っていくことが必要なのでは、と話されました。
惠谷さんは、さらにこれまでに調査された「宇治市の宇治茶生産」等の事例を挙げて、
土地の地形とその産業・営みがどのように関連し、つながりあっているかを紐解いて見せてくださいました。
地域の「要素(点)」だけを見るのではなく、
その「要素」同士が関連しあう脈絡を想定し、理解することで
「地域らしさ」が見えてくると話されました。
「地域らしさ」とは、どこかやわらかなニュアンスを持つ言葉で、
なかなか論理的に説明し、いざ見せることが難しいという側面もあります。
そこで一つの気づきが生まれます。
「地域らしさ」って、人でいう「その人らしさ」と似ているのでは。
その人がいるだけで、その人の「はたらき」は十分作動しているのに、
能力としては評価されにくいという事象と、どこか通ずる部分があるように感じられました。
「どこで」という新たな視点が、また昨日の「なにを」「だれと」の視点とつながりあっていくような、
まだ頭の整理は付かないけれど、でも確実に何か見えてきたような・・・という状況で、
それぞれにその思いを話し、聞き合い、今回の講座は終了しました。
これから自分で考え続けていきたい余白を残しながらも、
ここまでやり切った!というどこか清々しい表情で
[鹿の舟]を後にされる皆さんの姿がとても印象的でした。
ご参加くださった皆さま、本当にありがとうございました!