良弁と婆羅門(ばらもん)杉
奈良市街から東へと、山を上がっていくように車を走らせると
やがて田んぼや茶畑など、のどかな景色が広がる大和高原に到着します。
夏は涼しく冬は厳しい寒さになる大和高原は、市街地から山の方へ
進むにつれ、気温が下がるとともに空気が澄んでいくように感じられ
思わず、すーっと深呼吸をしたくなるような癒しを感じられる場所です。
今回はそんな大和高原の福住地区に位置する
下之坊をご紹介いたします。
下之坊は、もとを普光院永照寺といい、はじまりは奈良時代
聖武天皇の勅願により天平11年(739)東大寺の初代別当・良弁僧正が
創建したと伝わっています。
当時は下之坊のほかに上・中・湯屋など六坊あったようですが、
中世戦火のために焼けて衰退し、今の下之坊だけが残ったようです。
下之坊には、推定樹齢800年の「婆羅門杉」と呼ばれる巨樹が立っています。
婆羅門杉は山門のごとく2本、寺正面の石段の両脇に
あたりを見下ろすようにそびえ立ち、訪れる人を出迎えます。
杉は南北に立っていますが北側の杉が特に大きく、幹周7.4m、樹高は37.2mで
地上4.5m~5.0mのところで6本に分岐をしています。
婆羅門杉が人々を魅了するのは、その大きさはもちろん、
力強くうねりながら上へと伸びる立派な枝々の姿かもしれません。
800年もの間、形を変えながら大きく育ち、いまなお生き続ける杉を
眺めていると、その力強い姿にパワーをもらえる気がしてきます。
婆羅門杉の足もとからは地を這うように根が広がっていて
根張りは境内全体に及びます。
その範囲の広さにもまた、生命力を感じさせられます。
里山にひっそりと佇む山寺・下之坊。
のんびりと流れる時間を感じられる場所です。
さて、下之坊を創建したと言われている良弁僧正ですが
二月堂にもまた、良弁ゆかりの杉が植えられています。
二月堂を背景に、悠然と立つ「良弁(りょうべん)杉」。
地面を覆う芝生と良弁杉、
その手前にある神社・興成神社の朱色がよく映えます。
下から見上げるその景色は、歴史と壮大さを
感じさせてくれることでしょう。
こちらの杉に関しては諸説あり、一説ではそのむかし、
近江の国に生まれた良弁が赤ん坊のころ、鷲にさらわれ
遠く離れた二月堂のこの杉に引っかかっていたところを
義淵僧正に助けられ、育てられたと言われています。
この言い伝えは広く語り継がれ
文楽や歌舞伎などでも上演されています。
伝説からするとかなりの樹齢になる良弁杉ですが
過去には災害などの被害を受けたこともあり
今見られるものは3代目になるそうです。
現在の杉がこれからも永く二月堂で見られるよう
平穏な毎日が続くことを願います。
良弁によって繋がる二本の杉。
皆さんもぜひ、実際にご覧になってみてください。