山の辺の道 高円~鹿野園
梅雨を迎え、植物は雨露を浴びて、すくすくと成長し、
真夏のように暑かった日々も、気温が和らいだことで、
過ごしやすくなったように思います。
ですが、雨が続くと、外へ出かけるのを控える方もおられると思います。
多くの方が、ハイキングを楽しむ、日本最古の官道「山の辺の道」。
前回は、[鹿の舟]から高円までの道をご案内しましたので、
今回は、高円から南に続く道をご紹介し、外出気分をお楽しみいただければと思います。
(前回のご案内記事は こちら)
白毫寺のある昔ながらの町並みの続く通りを抜け、
道路を渡ると、田畑が続き、のどかな風景が広がります。
ここ、「高円」という地域は、奈良のお盆の風物詩である
「奈良大文字送り火」で有名な高円山の麓にあたり、
かつては、聖武天皇の離宮である「尾上宮(おのうえのみや)」が
あったとされている場所です。
この高円山は、弘法大師の師である大安寺の聖僧・勤操大師が、
自坊の岩淵寺を開いた霊山としても知られ、今では廃寺跡となっていますが、
白毫寺や帯解寺が、かつて岩淵寺の坊の一院であったという一説や、
新薬師寺の十二神将像は岩淵寺から移されたと言われている一説からも、
歴史的にも重要な場所であったことが伺えます。
案内板などを頼りに、田畑の脇を抜け、
暫く歩くと、静かに佇む1つの神社に辿り着きます。
この「八阪神社」は、「鹿野園(ろくやおん)町」の氏神さまで、
6柱の神様がお祀りされています。
鹿野園の地にかつて存在した「梵福寺(ぼんぶくじ)」の
鎮守神であったのではないか、とも言われています。
この「鹿野園町」という地名は、地元の方には「ろっきゃお」と呼ばれることもあり、
インドにある仏教聖地の一つである「サールナート」に
地形がよく似ていることから名付けられました。
サールナートには鹿が多くいたため、漢訳経典では「鹿野苑」と記載されています。
東大寺大仏開眼法要の導師をつとめたインドの僧、
「菩提僊那(ぼだいせんな)」が名付けたとされており、
地名からも悠久の歴史が感じられます。
そこからしばらく歩みを進め、家々が連なる路地を抜けます。
なつかしさの感じられる路地と、その西向こうに広がる奈良盆地の風景が、
散策を楽しむ私たちの目を楽しませてくれます。
路地を抜けると、また景色は一変、ため池のすぐ横を通る脇道を抜けていきます。
歩行者しか通れないほどの細道からは、昔ながらの家並みと、
遠く生駒山まで望むことのできる、清々しい景色が広がります。
脇道の先からは、本道と脇道との二股に道が分かれており、
土手を下り竹林を避けて進むことも、竹林の中を進むこともできます。
竹林を歩く場合は、堤防保護のためにと設置された柵を自身で開閉して、
「山の辺の脇道」と書かれた案内板を頼りに先へ進みます。
竹林の中には、「身ノ立山 不動明王堂」があり、
苦を取り除き、願いを叶えて下さるという不動明王の石仏に
お祈りすることもできます。
竹林を抜けると「横井廃寺跡」の辺りに道は続きます。
飛鳥時代の創建とも推定されるこの寺院跡にはじまり、
ここから西に位置する古市廃寺や、南に位置する山村廃寺、
先にご紹介した岩淵廃寺等からも、この地域の寺院遺跡の豊富さが伺えます。
更に、住宅の並ぶ細道を抜けるように進んでいくと、再び田畑の風景が広がります。
この先に続く道は、また改めてご紹介いたします。
次回も、楽しみにお待ちいただけましたら幸いです。