弁財天巡り
暖かい陽ざしが気持ちの良い時期となりました。
立夏とも呼ばれるこの時期。
町歩きをしていると、喉を潤す「水」が恋しくなる頃ですね。
水は、万物を生みだし育むことから、
いにしえから祈りの対象として、大切にされてきました。
同じように、水がある海や川なども
信仰の対象とされることがあります。
そのうちの一柱が、
「七福神」でおなじみの弁財天です。
諸説ありますが、
七福神の中で、唯一の女神としてご存じの方も多いと思います。
弁財天は、元々インドの川の神様ですが、
様々な経緯で全国に取り入れられ、各地でお祀りされています。
水辺にお堂があるのを、ご覧になられた方もいらっしゃるかもしれません。
川の流れの音の美しさから
音楽・言語(学問)・芸能の上達を見守って下さるとされますが、
以降、多様な考え方が習合していきます。
そんな万能な弁財天が、
奈良町と深い関係があるのをご存じでしょうか。
かつて、平城京があった時代。
空海が、天川村にある「天河大辨財天(べんざいてん)社」より
都の平和を守るためにお祀りしたことが始まりです。
まずご紹介するのは、興福寺です。
北円堂からなだらかに下ると、三重塔が見えます。
こちらにお祀りされています。
お祀りされた以来から、
特に学問に励む方から、篤く信仰されているそうです。
毎年7月7日に法要が執り行われ、ご開帳もされます。
興福寺の三重塔にお祀りされた当時、
餅飯のお供え物をして、法要をした場所があります。
もちいどのセンター街にある、「餅飯殿(もちいどの)辨財天社」です。
現在は、飲食店やお土産店などが立ち並ぶアーケード街で、
こちらのお社が、町の名前の由来となっています。
商店街の真ん中あたり、
スーパーがある広場の奥に佇んでいます。
にぎわいをみせるこちらの町が、より安心に栄えるよう
長い期間、見守り続けられています。
さて、都の守るため、平城京までおいで下さった
「天河大辨財天社」とはどのような場所なのでしょうか。
天川村は、奈良県の南部に位置し、
奈良市からは車で約2時間の場所にあります。
雄大な山々と、美しい清流に囲まれた清々しいところです。
お社は、美人の湯と名高い温泉のほど近くにあります。
全国にある辨財天社のなかでも、格式の高いこちらは、
整った境内の中に、芸能の神様らしく、
大きな舞台もあります。
特に、能とのゆかりが深く
多くの能面や、能装束を伝えています。
毎年4月14日の春季大祭、7月17日の例大祭、
11月2日の秋季大祭には、能楽の奉納も行われます。
かつてから、
悪い存在を鎮めたり、ご先祖様を慰めたりするために
芸能を奉納するということが行われていたそうです。
現在でも、人々の穏やかな生活を祈り、
能に関わらず、様々な音楽や舞踊などの奉納があります。
参拝時にならす鈴は、「五十鈴(いすず)」と呼ばれ
人間の成長に欠かせない考え方を、
三つの鈴で表現した独特の形をしています。
古事記の「天の岩屋戸開き」で使用された
神宝がモチーフなのだそうです。
平和を願う思いが伝わってくる場所でした。
新しい元号が始まる今年。
この記念すべき年に、
平和の願いを込めて、弁財天参りはいかがでしょうか。
天河大辨財天社は、奈良市内からは距離がありますが、
奈良町近辺にお祀りされていますので、
散策ルートに、ぜひ加えてみてくださいね。