幻の伽藍を偲ぶ
奈良には、かつて都で盛んだった寺院造営のなごりで、
現代でも多くの寺院がその姿を残し、今に伝わっています。
しかし、長い年月を経て、
何らかの理由で寺院の全てや一部が消失してしまったため、
当時の大きさをそのまま伝えているものはほとんどないと考えられています。
そんな中でも、文書や伝承、研究によって
当時の様相や規模が想像できることもあります。
[鹿の舟]がある奈良町もその一つです。
かつては元興寺の境内であった奈良町。
至るところに元興寺が由来の町名が残り、
それらを結んでいくと、いかに巨大な寺院であったかが伺えます。
今回は、[鹿の舟]から比較的近い場所から、3か所ご紹介いたします。
ぜひ足を運んで、当時の伽藍を偲んでみてください。
[鹿の舟]から歩いておよそ5分に位置する、璉城寺(れんじょうじ)。
こちらのお寺は、周辺の地区の名前にもなっている
「紀寺」だったのではないかと言われているそうです。
紀寺は、紀氏の氏寺であり、かつてこの地に広大な伽藍があったとされます。
現在、通常拝観は行っておりませんが、
毎年5月にご本尊の阿弥陀如来立像のご開帳があり、
こちらの期間のみ拝観可能です。
光明皇后がモデルとされ、とても美しいその姿を、
ご開帳の時期にお越しの際はぜひご覧ください。
璉城寺から、市内循環バス通りに沿ってJR奈良駅方面へ歩いて行きましょう。
やすらぎの道という大通りとぶつかった辺りで少し足を止めてみてください。
このあたりは現在、西木辻町といいます。
かつてこの周辺には「佐伯院」という、
佐伯氏の氏寺があったと考えられています。
現在その遺構は残っておらず、
バスも往来する、観光や日常生活に欠かせない場所となっています。
こちらの佐伯院には、
真言宗の開祖である、弘法大師空海が、
若き日に滞在していたとされています。
日々の生活をしながら、
今後の未来を考えていた空海が、ここにいたのかもしれない。
そんな風に想像してみるのも面白いかもしれません。
それでは、もう少し南方向へ足を運んでみましょう。
こちらから徒歩では30分程、
JRまたは近鉄奈良駅からバスに乗っていただくこともできます。
南都七大寺の一つ、大安寺です。
大安寺は、飛鳥時代に中心寺院として機能し、
平城京遷都を機に現在地へ遷されました。
当時は、90以上の建物がその中に存在し、
887人もの僧侶が生活しながら、仏教を学んでいたそうです。
数多くの名僧にもゆかりがあり、
先程ご紹介した空海や、その師であるとされる勤操などが名を連ねます。
しかしながら、度重なる戦火や自然災害などで伽藍が消失し、
今日、当時の規模ではないものの、
旧境内の部分は現在調査が進められています。
境内の中に趾地が残されていました。
現在の本堂です。
天平時代の十一面観音が祀られており、
特に癌封じに霊験あらたかと言われています。
現在、御開帳が行われており、
11月30日まで拝見することができます。
大切に守り伝えられた貴重なお姿を、ぜひご覧ください。
また、毎年1月23日に執り行われる光仁会での、
癌封じ笹酒をご存知の方もいらっしゃると思います。
境内には竹林があり、いつでも爽やかな竹のパワーも頂けます。
かつてこちらには七重塔がそびえたっていたそうで、
塔の土台部分となる基壇の大きさからも、
当時の壮麗な姿を想像できます。
今回ご紹介した寺院以外でも、奈良はたくさんの歴史を伝えています。
目に見えなくても、伝えている当時の人々の想いを、
この地に足を運んでいただけると、感じ取っていただけると思います。