鹿の舟のいま

伝香寺

やすらぎの道沿いに佇む伝香寺。

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こちらの寺院は、奈良三名椿「散り椿」の名所としても有名ですが、
毎年、7月23日には、地蔵会で地蔵菩薩衣更法要が催され、
1年に一度、衣を召した裸地蔵が着替えをされることでも知られています。

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今年は、若草色の衣を身にまとっておられました。

もともと、興福寺、延寿院のご本尊であったお地蔵さまですが、
明治の廃仏毀釈の際に、興福寺とゆかりのあったこちらの寺院に譲られ、
地蔵堂でお祀りされています。

このお地蔵さまの胎内には、宋時代のガラス製の舎利器や仏舎利、
小さな薬師如来坐像が納められており、胎内仏としての一面も持ち合わせています。

地蔵堂のすぐそばには幼稚園の運動場があり、園児たちは、お地蔵さまに手を合わせます。

そして、
お地蔵さまは、園児たちのお遊戯や盆踊りを優しい表情で見守ります。

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伝香寺は、771年に、鑑真和上の弟子の思託(したく)律師によって開創され、
当時は「実円寺」と名付けられていました。

一時は、荒廃していましたが、1585年、36歳の若さで亡くなった、
戦国武将、筒井順慶の菩提を弔うために、再興されました。

再興を発願した順慶の母、芳秀尼(ほうしゅうに)は、息子の冥福を祈り、
景勝であった率川のほとりにあった実円寺の跡を復興し、菩提寺とされたそうです。

伝香寺という名は、香華が絶えないようにと願って名付けられ、
母の、息子への愛情が込められています。

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また、芳秀尼はとても教養が高く、椿への関心も高かったことから、
自分の屋敷に多くの椿を植えていたそうです。

それらの椿の中から、息子への供華として、とても気に入っていた珍しい椿の木を、
本堂の前に移植したと伝えられ、現在の「散り椿」として知られています。

現在の椿は三代目ですが、芳秀尼の想いが三名椿の一つとして
多くの方に親しまれる花木となったことへも、感慨深いものを感じます。

奈良には奥ゆかしい寺院が数多く残ります。

「観光案内所 繭」では、お一人ずつにあわせた奈良散策のお勧めをご案内しております。
お気軽に、お声掛けください。

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