万葉の草花
立夏を迎え、暦の上では夏に入りました。
色濃くなりつつある緑が目にも眩しいこの季節、
野山や畑、道端で目にする草花は日々、変化しています。
そんな日常の中で接する四季折々の草花が沢山詠われているのが、万葉集。
日本で現存する最古の歌集です。
大和の歌を中心に、東歌(あずまうた)や防人(さきもり)歌といった地方の歌も含み、
天皇から庶民まで様々な階層の人々の歌が収められています。
飛鳥時代から奈良時代にわたる4500首あまりが編纂されている壮大な歌集です。
そのうちの1/3以上、1700首あまりに植物が詠まれています。
観賞用の美しい花だけでなく、穀物・野菜・果物や染料の原料といった、
生活に身近な植物が、150種以上登場します。
歌を詠んだ人々が草花を愛でるだけでなく、実際に育て、見守っていた様がうかびます。
また草木には人間の心や病気を救う精霊が宿っていると信じられていたため、
歌に願いや想いを込めて詠んだのかもしれません。
今回は万葉集に登場する初夏の草花と
古代の人がそれらに重ねた想いをいくつかご紹介します。
まずは「紫草(むらさき)」。
現在では幻の野草、と呼ばれるほど、自生がむずかしくなってしまいましたが、
かつては日本全土に生育し、その根は「紫根染め」という草木染や、
火傷・毒消しの特効薬としても使われていたそうです。
古代、紫は高貴な色とされ、重宝されていました。
万葉集の中でも「美しく、高貴な」ということを表しています。
「韓人(からひと)の 衣染むといふ 紫の心に染みて 思ほゆるかも」
(巻四─五六九)
「渡来人が衣をそめるという紫の色のように、
鮮やかに心に染みわたり、あなたのことが思われる」という内容です。
地方に赴任していた貴族が都へ帰還する際に、
部下が送別会で詠んだ歌の一つだと言われています。
彼が着ていた礼服が紫色だったそうです。
珍しい紫草はこの季節、春日大社の萬葉植物園で見ることができます。
同じく、染色に使われる「月草(つきくさ)」は夏の早朝、
露に濡れて鮮やかな青い花を咲かせるので「露草(つゆくさ)」
と呼ばれるようになりました。
その命は短くて、午後にはしぼんでしまいます。
またその花の絞染めは、洗うと落ちてしまうなど、色がさめやすいので、
「露草」で染めた色は、はかないものとして受けとめられていました。
万葉集の中でも「はかない」、「うつろう」などの意味で使われています。
これからの季節、青々と美しくなる「苔(こけ)」も万葉集に登場します。
苔に覆われた古木や岩石は古代の人の目にも神聖に映ったのでしょう。
その中のおおくで「苔むす」と長い時間がたったことを伝えるために使われています。
「奥山の 岩に苔むし 恐(かしこ)けど 思うこころを いかにかもせむ」
(巻七─一三三四)
「奥山の岩に苔が生えるように、神秘的で恐れ多いが、
このお慕いする気持ちはどうしたらよいのか」と
静かに息づく苔も、はっとするような熱い想いを詠われています。
自然と、もっと身近であった万葉人の草花へのまなざしから
現在と変わらぬ、人間味あふれる日々の暮らしと、
それを捉える、素直で、のびやかな心に触れることができます。
[鹿の舟]の庭にも万葉集に登場する花や、野菜や果物の花も顔をのぞかせています。
お越しの際は季節の移り変わりを庭の草木とともにお楽しみください。