清水通り
かつて、清らかな水に恵まれた「清水通り」。
元興寺界隈から高畑を東西に結ぶこの通りは、大正末期まで
東山中と呼ばれた大和高原から奈良へ、徒歩で物を売りにくる人や、
必需品の買い物に来る人のための通り道でした。
当時は、通りを行き来する人たちに向けた商店街があり、
衣料品店や飲食店、金物屋などで賑わっていたようです。
また、春日山原始林から流れる水脈が通っており、
通行人や牛馬が、井戸からの湧き水でのどを潤したり、
この清水を使用したお酒や醤油も作られていました。
通りを歩くと、水脈に合わせて道も緩やかな坂になっているのが分かります。
その後、交通機関の発達に合わせて、町並みは商店街から住宅街へと変化しますが、
今でも、当時の面影を残す昔の建物が残っています。
2軒の酒蔵では今もお酒が作られ、かつて醤油の醸造をしていた建物は
宿泊施設へ活用される等、当時の面影が残ります。
今、この地域は「上清水町」「中清水町」「下清水町」として、
「清水」の名を今に伝えています。
また、この通りには、「清水寺(しみずでら)」という寺院があったそうです。
天平8年、興福寺の僧「玄昉」は、
聖武天皇の命により、国家鎮静を祈願して清水寺を開山しました。
玄昉の孫弟子である「延鎮」は、
京都東山に「清水寺(きよみずでら)」を建立しており、
京都の寺院を「きよみずでら」と呼ぶのは、
奈良にあった「しみずでら」と比較するためと言われています。
中世に入ると、奈良の清水寺は荒廃しますが、
建長6年、叡尊が再興し「福智院」と改名します。
今では、立派な地蔵菩薩像をご本尊に据え、多くの信仰を集めています。
10月を迎え、秋風が奈良町を抜けています。
歴史をたどりながら、ゆったりと奈良の町並みを散策してみてはいかがでしょうか。