雪見障子
やわらかい光を取り込む「障子」。
大正初期の邸宅を活用した、「観光案内所 繭」の2階には、
い草の香りが心地よい、広々とした和室が広がります。
畳と障子の取り合わせに、日本建築の美しさを感じます。
障子の下部には腰板が設けられ、一面に障子紙が張られている一般的な障子と、
下半分に透明ガラスがはめ込まれ、上げ下げできる小障子が取り付けられた
「雪見障子」があり、和室と廊下の空間を柔らかく間仕切ります。
一面に障子紙が張られた「腰付障子」の廊下向かいには部屋があるため、
部屋同士の視線を上手く隠しながらも光を上手く取り込んでいます。
「雪見障子」の廊下向こうは一面窓になっているため、
廊下には外からの明るい陽ざしが差し込みます。
この陽ざしが、雪見障子を介することで和室を柔らかい光で包み、
小障子を上げると、和室から庭の景色も取り込むことができます。
繭の建物が邸宅であった当時、建物の東側には
立派な日本庭園が広がっていたといいます。
雪見障子のガラス越しに眺める日本庭園は、
当時この場所で生活されていた方々にとってもきっと、
大切な思い出の風景であったことでしょう。
障子が使われ始めた平安時代は、今のような建具の形ではなく、
部屋の内部を囲うことのできる持ち運び可能な、
「障塀具」と呼ばれる間仕切りのことを指していました。
框(かまち)と組子によって枠組みが作られ、
その枠の片面または両面に紙や布などを張っていたようです。
中世建築での建具の発達により、次第に間仕切りから、
今の建具の形へと変化を遂げたといわれています。
決して主役にはならないけれど、
空間を仕切り、大切な役目を担う障子。
障子から、日本人の住まいに対するこだわりを汲み取ることができます。