写真家の住まい
東大寺の旧境内だった水門町。
観光客でいつも賑やかな東大寺表参道と隣り合わせとは思えないほど
静寂に包まれた、古都奈良の風情が漂う場所です。
ここに、半世紀にわたり奈良大和路の風景を撮影し続けた
写真家、入江泰吉の旧居が静かに佇んでいます。
入江泰吉は昭和20年3月、大阪の大空襲で自宅兼店が焼失し、
ふるさと奈良に引き揚げました。
そして奈良で写真家としての再出発を切りました。
昭和24年、44歳の時に居を構えて以来、
86歳で亡くなるまでここを拠点に作品作りに勤しみ、
趣味の時間を楽しんだと言われています。
また、志賀直哉、白洲正子をはじめ、
多くの文化人も訪れ、交流をはかりました。
東大寺戒壇院の南門と石段に続く古い町並みを歩いていくと
その緑豊かな住居が見えてきます。
東大寺観音院住職・上司海雲師(第206世東大寺別当)による
表札を掲げた門を入ると、石畳の前庭を通って、玄関に到着します。
客間の家具は当時のままとなっており、
入江夫妻がいつも座っていたソファに腰かけ、
当時、ここで歓談した人々の様子に思いを馳せることができます。
家屋は平屋建てですが、家の西を流れる吉城川に向かって
急勾配で敷地が下がっているため、
西側の客間とアトリエの窓からの見晴らしが良く、
庭の豊かな木々とその背後に続く奈良公園を見渡すことができます。
慎ましいとも言える表通りの様子とは裏腹に、
そこからの風景は大和の四季折々の様子を贅沢に写し出し、
私たちの目を楽しませてくれます。
静寂の中、濃い緑に包まれながら刻一刻と移ろう光と影を眺めていると
日常の喧騒をふと忘れてしまいます。
館内の方に伺ったところ、早春には椿が、初夏には若葉、
そして秋は見事な紅葉が来館者をお出迎えしてくれるそうです。
入江泰吉旧居は妻のミツヱ夫人によって奈良市に寄贈された後、
改修を経て2015年3月から一般公開されています。
旧居に漂う奈良らしい情緒に身をゆだね、
思い思いに一幅の休息を得る、そのような時間をいただける空間でした。