志賀直哉旧居
閑静な住宅街の中に佇む「志賀直哉旧居」。
この地域は、「高畑」と呼ばれ、文人の町としても知られています。
当時、高畑に住んでいた友人たちの勧めや、
奈良の古い文化財や自然の中で仕事を深めていきたいという思いから、
志賀直哉は大正14年から奈良での生活を始めました。
奈良に移り住んだ当初は借家に住み、
自身で設計した邸宅に移り住んでからは、
多くの文化人との交流の場を設け、
家族の絆を深めるための大切な時間を過ごしていたようです。
ここ奈良の地で、「暗夜行路」をはじめとする数々の作品が生まれています。
数奇屋風の造りの中に、洋風や中国風の様式を取り入れ、
京都から数奇屋大工を呼びよせるなど、
建物に対する強いこだわりが感じられます。
1階の書斎。
窓から覗く庭の木々が美しく、
北向きの窓から柔らかな陽ざしが差し込みます。
執筆のために造られた空間でしたが、
次第に、2階の南向きの和室も書斎として活用していたようです。
2階の書斎の奥にある客間からは、
若草山を借景に取り込んだ景色を楽しむことができます。
こちらも、窓枠で切り取られた緑が美しい、落ち着く空間です。
1階の書斎の東側に位置する茶室。
にじり口、障子、天井の丁寧な仕舞いから、
大工の技を随所に感じます。
洗面所や女中部屋は、復元工事により当時の姿を取り戻しました。
志賀直哉が家を引き払った後、居住者の入れ替わりや、
米軍の接収となったことで建物に手が加えられましたが、
修復されたことで当時の趣を取り戻し、
今では奈良を代表する名所の一つとなりました。
夫人や子供たちの部屋は南向きに配置されています。
子供たちとの距離感や建築の素材へのこだわりから
志賀直哉の家族思いの一面が感じ取れます。
志賀直哉旧居の中でも特に印象的なのが、食堂とサンルームです。
建物の中で一番広い空間の食堂。
白壁の天井が美しく、サンルームに向けた出窓にモダンさを感じます。
来客が多かったため、こちらで家族と一緒に食事をしていたようです。
その隣にはサンルーム。
大きな天窓と、裏庭に向けた窓から差し込む光が室内を明るく照らし、
床に敷き詰められた瓦のタイルが印象的です。
志賀直哉は多くの文人や画家との交流を大切にし、
芸術や人生について語り合い、娯楽を楽しむ中で、
いつしか「高畑サロン」と呼ばれるようになりました。
これらの空間を取り囲むように配された庭では季節の花が咲き、
志賀直哉自身も執筆の疲れをほぐすため、散策していたようです。
志賀直哉が奈良で過ごした時間はきっと、
彼自身にとっても、家族や周りの人達にとっても、
かけがえのないひと時であったことでしょう。