鹿の舟のいま

大和の生薬

古来より、大和地方で盛んに栽培されていた薬草。

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奈良は、古くから生薬と深い縁があります。


日本に初めて漢方薬が入ってきたのは、

414年、允恭(いんぎょう)天皇の病気を治すためでした。

中国から招いた医師が、治療のために漢方薬を

日本に持ってきていたという記録があります。

「日本書紀」によると、推古天皇が611年に

今の宇陀地方の山で薬狩りをされたのがはじまりとされています。

また、東大寺正倉院には60種類の薬が納められていました。


江戸時代には漢方や生薬の需要が高まり、

疫病に備え、奈良を中心とする近畿地方で薬用植物が栽培されたほか、

中国等の諸外国から漢方医学が伝来したことで、

奈良には国内の生薬だけでなく、渡来の生薬も集まりました。

また、充分な降水量、夏期の暑さと冬期の寒冷、積雪の少なさなど、

地質的にも奈良県は、生薬の栽培環境に恵まれていました。

江戸時代に入り、漢薬の需要は高まり、

中国から薬用植物の種苗を輸入する一方で、

国内の山野に自生する薬草や薬木を調査、採集し、

それらを栽培する試みが盛んに行われました。


八代将軍の吉宗が薬草栽培を奨励することで、

薬草栽培はより一層盛んになり、

日本人の体質にあった、優良な生薬の種苗が育てられ、

栽培されるようになりました。


しかし、明治時代になると、他の地域で薬用植物の大規模な栽培化が行われ、

生産量の面ではそれほど目立った存在でなくなりました。


近年では、中国からの安価な漢方薬の輸入が盛んに行われたことで、

生薬を栽培する農家は激減してしまいました。


しかし、伝統ある奈良の生薬は質も良く、現在でも全国的に有名です。

奈良で栽培されている生薬に「大和当帰」があります。

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古くより、根の部分を「当帰」と呼び、漢方処方薬として、

様々な用薬などに処方されてきました。


現在では、葉の部分も「非医」の扱いとなりました。

当帰葉を和ハーブとして活用する機会も増え、

葉を料理のアクセントや香り付けとして、

葉を使った天ぷら、お茶、和洋菓子に用いたり、

大和当帰を配合した入浴剤まで様々な用途で使われています。


当帰はセリ科の多年草で、国内では、北海道と奈良を中心に栽培されています。

奈良で栽培されているものを「大和当帰」、

大和当帰よりも後に生まれ、北海道で栽培されているものを「北海当帰」と呼んでいます。

大和当帰の中でも、県内の大深地方や和歌山県富貴地方で生産される当帰は、

「大深当帰」と呼ばれ、最高級品とされています。


「観光案内所 繭」では、当帰をはじめ10種類の自然の生薬を配合した、

オリジナルの薬湯である、「天平の薬湯」を販売しています。

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香りがとても良く浸透性が高い生薬の成分が身体を芯から温めることで、

新陳代謝が活発になり、冷え症をはじめ様々な症状に効果があります。 


伝統ある優良な生薬で作られた入浴剤、ぜひお試しください。


繭では、今週末の14日(日)まで、

「新緑の奈良で、初女さんに会う。」オザキマサキ写真展も開催しております。

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佐藤初女さんの表情や仕草、おむすびに向き合っておられる姿は

とても凛とされ、美しく、多くの方に足を運んでいただいております。

是非、お楽しみください。

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