月ヶ瀬梅林
奈良三大梅林に含まれる「月ヶ瀬梅林」。
五月川の渓谷沿いに梅の木が広がるため、
「月ヶ瀬梅渓」とも言われています。
大正11年には「名勝月ヶ瀬梅林」として
全国で初めて、国の名勝地に指定されました。
今月末まで梅まつりが開催され、約1万本の梅樹を楽しみに、
毎年多くの方が月ヶ瀬に足を運びます。
奈良時代、大安寺などの荘園として発展した月ヶ瀬では、
1205年に月ヶ瀬尾山に天神社をお祀りした際、
神社の祭神である菅原道真公が好きであった梅を周囲に植樹したことから、
梅との関係が始まりました。
その梅の実から「烏梅」が作られます。
烏梅は、梅の実を煤(すす)で黒くいぶしたものを言います。
村の人々の生活を支える産業の一つとして浸透しました。
薬種としても用いられ、江戸末期になると、紅花染めの鮮やかな色を引き立てる
媒染剤として染色の問屋にとても人気がありました。
烏梅を用いて作られる「紅」色は着物や口紅などに用いられ、
紅花で染めた赤い和紙は東大寺の伝統行事に用いられています。
村の人々は畑や山を開いて梅を植樹するようになり、
当時は、今よりも多い10万本の梅が植わっていたようです。
しかし、明治に入り、安価な化学染料が輸入され始めたことで、
それまで盛んに行われていた烏梅の製造はほぼ途絶えてしまいました。
今では、月ヶ瀬尾山に住む職人さんが全国でただおひとり、
手法を受け継ぎ、烏梅を作り続けておられます。
春を告げる景勝地として知られる月ヶ瀬梅林は、
昔の人々の生活を支え、今の美しさに繋がっていました。
梅の見頃が終わると続けて桜が咲き始め、華やかな風景が広がります。
[鹿の舟]でも、春の息吹を見つけることができます。
庭では、土筆が空に向かって伸びていました。