京終
奈良町の南端に位置する「京終」。
初めてこの地名を見る方の多くは、読み方に戸惑われるようです。
「きょうばて」と読むこの地名は、かつて平城京の敷地の中で
東に張り出したように配置された「外京」の果てであることから
名付けられています。
[鹿の舟]を含む奈良町も外京にあたります。
東の高台に位置するため、平城京を見下ろすことができるのも外京の特徴です。
「外京」には興福寺や元興寺をはじめ寺院が多く存在しました。
これらの仏教寺院があることで町の衰退を免れ、
今では奈良市の中心部として機能しています。
奈良町の中心部から道路を渡り京終に足を延ばすと、
観光地化している地域とは異なり、
地元の方の雰囲気を残す、どこか温かい趣に包まれます。
京終の入り組んだ路地のところどころに、小さなお店や神社等があり、
見どころが隠れています。
かつてはたくさんの人々が行き交い、レコード工場や
蚊帳を中心とする繊維工場などが集まっていました。
農村風景を残しつつ産業の町として発展してきたこの町は、
今なお地元の方に愛され、昔ながらのパン屋さんや魚屋さんが残っており、
一風変わった10円おみくじの飛鳥神社なども有名です。
京終の玄関口、JR京終駅は可愛らしい薄桃色の板壁に瓦の屋根があしらわれた
レトロさを感じる木造の駅舎です。
万葉まほろば線の愛称で親しまれているJR桜井線の北に位置し、
現在は無人駅となっています。
明治31年、当時の奈良鉄道が桜井駅から北に向けて線路を敷設した際に、
終着駅として設置されました。
京終は奈良の南の玄関口であったため、
当時は県内の中南部地域から運搬された物資を京終駅で荷下ろしし、
奈良界隈に運んでいたようです。
駅舎の横に貨物列車用の引き込み線の名残りが垣間見られます。
また、京終駅は大正7年から昭和26年まで山間部の都祁地域と
平野部を結ぶロープウェイ「奈良安全索道」の西の終着駅でもあり、
山間部の物資も運び込まれていました。
現在はロープウェイの痕跡はありませんが、当時は京終駅が物資の集積地として
栄えていたことが想像できます。
駅前や近隣のふれあい会館では京終玉手箱というイベントもあり、
次回は12月11日に開催されます。
出店者の方がそれぞれ持ち寄った販売用の古本や、手作りの雑貨や食べ物が駅前に並び、
開催日によって演奏を聴いたり、紙芝居を上映していたりと、
地元の方や駅を利用する方に親しまれています。
今は当時の賑わいはなくなり、地元の方の生活に寄り添った落ち着いた地域になりました。
そんな京終界隈が賑わうようにと、きょうばて見どころ会の方々が願いを込めて作られた地図。
手書きの文字がぎゅっと詰め込まれ、作り手の想いやユーモアが感じられる素晴らしいものです。
「観光案内所 繭」にて手に取っていただけます。
是非マップを片手に、散策されてみてはいかがでしょう。